









本体価格:¥11,000-
<染付 寒山拾得図 蕎麦猪口>
時 代: 天明~寛政年間、1780~1790年代
サイズ: 口径 8.5cm 底径 7.1cm 高さ7.4 cm
状 態: 口径が8.5cm、高さが7.4cmありますので、標準的な蕎麦猪口よりは、心持ち大きいかなという気がします。顔料である呉須(ごす)の発色自体は良好なのですが、本体内側壁面に余分な呉須がところどころに薄く付着しています。ソバカスが全体的に二つ三つほどあり、そのうちの一つは内側壁面に見られ、もう一つは右側人物の額に出ています。ホツやニュウなどはなく座りも安定しています。
寒山・拾得(かんざん・じっとく)は、中国、唐の時代(618-907)に天台山(浙江省)、国清寺(こくせいじ)の豊干禅師(ぶかん ぜんじ)に師事した有髪の僧です。拾得は豊干禅師に松林で拾われ養われたので拾得という名前が付きました。寒山は国清寺近くの寒巌という石窟に住んでいたので寒山といい、国清寺に足繁く通っていました。拾得が国清寺の厨房係であったことから寒山は竹の筒に入れられた残飯を拾得から貰っていました。寒山と拾得は仲がよく、ともに世俗を超越した奇行が多く、その振る舞いや考え方は、自然や隠遁生活を綴った『寒山詩集』に見ることができます。
後世になって彼らの言動に憧憬を抱く中国、日本の禅僧や文人によって格好の画題として頻繁に描かれています。 いくつか日本の作品例をあげると、室町時代の『霊彩(れいさい)による寒山図』、また室町幕府の御用絵師『周文(しゅうぶん)による寒山拾得図』。桃山時代の『長谷川等伯(はせがわ とうはく)による豊干・寒山拾得図』。江戸時代には、『曾我蕭白(そが しょうはく)の寒山拾得図』、『長沢芦雪(ながさわ ろせつ)の寒山拾得図』などなど、多数の著名な画家によって描かれています。寒山は書籍を読み、拾得は帚(ほうき)を手にした図が一般的によく知られるところです。森鴎外にも『寒山拾得』という短篇があります。これはネット検索『森鴎外 寒山拾得 青空文庫』 で、無料で読めますので、ご興味のある方は、どうぞ、ご一読なさって下さい。
※ 古伊万里などの商品は手作りによる骨董品のため、カタチのゆがみ、色むら、ホツ、ソゲ、ニュウなどある場合がございます。